2007年08月06日
8月6日
ネットを見ながらごろごろしていたら、本日は、広島に原爆が落ちた日とありました。
日ごろニュースもろくに見ないのでぜんぜん気がつかなかった。
そこで、1人でも多く今日という日がどのような事があった日なのか、
知って欲しくて、原爆の仕組みや、どんなに恐ろしい物か、あと広島、長崎ではどんな悲惨な出来事があったのか。
詳しく調べてみました。
原子爆弾(げんしばくだん)又は原爆は、ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂反応を超臨界状態にすることで爆発させる核兵器である。
原子爆弾の威力は通常兵器と比べ極めて大きく、無差別かつ大量に殺戮する大量破壊兵器であるため、この兵器の保有・使用に伴う危険性は世界中で危惧されており、現在では他の核兵器と共に包括的核実験禁止条約、核不拡散条約などで規制する動きがある。
★原子爆弾の開発
原子爆弾はアメリカ合衆国が最初に開発し、1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で最初の原爆実験が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた。
詳細はマンハッタン計画、トリニティ実験を参照
また実際の戦争で使用された原子爆弾は、太平洋戦争末期の1945年に日本の広島市に投下されたリトルボーイ(濃縮ウラン型)と長崎市に投下されたファットマン(プルトニウム型)の2発である。
これらの原子爆弾は大量の放射線を放出し、また放射能を有する塵などを多量に排出したため、被害は爆発の熱や爆風だけに留まらず、原爆症と呼ばれる放射線障害や白血病や癌などの重大な病気を被爆者に引き起こし、その影響は現在も続いている。
詳細は#原子爆弾の使用による被害の項を参照
★原子爆弾の理論と構造
核分裂に関する理論
・エネルギー
原子爆弾は放射性元素の核分裂反応で放出されるエネルギーを利用する爆弾である。TNT火薬などの通常兵器に用いられる物質が化学反応によって原子間の結合エネルギーを解放するのに対して、原子爆弾では原子核を構成する核子の結合エネルギーが解放される。化学結合のエネルギーは電子ボルト (eV) のオーダーだが、核力の結合エネルギーはメガ電子ボルト (MeV) のオーダーである。そのため、原子爆弾で解放される単位質量あたりのエネルギーは通常兵器のそれに比べて約106倍も大きい。
・核分裂
原子核を構成する核子は核力によって強く束縛されているため、通常はこの結合を切ってエネルギーを取り出すことは困難だが、原子番号の大きな原子核では、中性子をぶつけるなどして比較的小さなエネルギーを与えると原子核が液滴のように二つに分裂することがある。これを原子核分裂と呼ぶ。この核分裂によって、分裂前後の核子の結合エネルギーの差分が外部に放出される。
・連鎖反応
核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こることがある。このような反応を核分裂の「連鎖反応」と呼ぶ。
核分裂性物質の量が少ない場合には連鎖反応は短時間で終息するが、ある一定の量を超えると中性子の吸収数と放出数が釣り合って連鎖反応が持続することになる。
この状態を「臨界」といい、臨界となる核分裂性物質の量を臨界量と呼ぶ。発電等に用いられる原子炉ではこの臨界状態を保持して一定のエネルギー出力を得ている。
核分裂性物質が臨界量を大幅に超えて存在する場合には、分裂反応を繰り返すごとに中性子の数が指数関数的に増加し、反応が暴走的に進む。この状態を「超臨界」または臨界超過と呼ぶ。原子爆弾では核分裂性物質を短時間で超臨界の状態にする必要がある。
★ウランとプルトニウム
核分裂反応を起こす物質(核種)はいくつか存在するが、原子爆弾にはウラン235またはプルトニウム239が用いられる。
ウラン235は広島に投下された原子爆弾で用いられた。天然ウランに含まれるウラン235の割合はわずか0.7%で残りは核分裂を起こさないウラン238である。そのため、原爆に用いる為にはウラン235の濃度を通常90%以上に高めなければならず、辛うじて核爆発を引き起こす程度でも最低70%以上の濃縮ウランが必要となる。放射能が少ない為に取り扱いは容易であるが、ウラン濃縮には大変高度な技術力が必要とされる。臨界量は100%ウラン235の金属で22kgとされている[1]。広島型原爆では濃縮度約90%のウランが約60kg使用されたとされる(原子力百科事典)。起爆には後述のガンバレル方式が用いられた。
プルトニウム239は自然界には殆んど存在しない重金属であるが、原子炉(燃料転換率の高い原子炉が望ましい)内でウラン238が中性子を吸収することで副産物として作られるため、ウランのような濃縮過程を必要としない。また臨界量が5kgとウラン235に比べてかなり少量で済む利点がある[2]。放射能が強く取り扱いは難しいが、ウランを燃焼させるだけで容易に生産できる為、現在のほぼ全ての核保有国が導入している。しかし通常の工程で作られたプルトニウムにはプルトニウム240という同位体が含まれており、この同位体が高い確率で自発核分裂を起こす性質を持っている。このため、ウランの場合のようなガンバレル方式ではプルトニウム全体が超臨界に達する前に一部で自発核分裂が起きて爆弾が四散してしまうなど、効率の良い爆発を起こすことが難しい。このために後述のインプロージョン方式と呼ばれる特殊な起爆方式を用いる。長崎に投下された原子爆弾にはこのタイプが用いられた。
広島、長崎に落とされた原爆が、人にどれだけ悲しい歴史を作ったか、
もう一度振り返って見ましょう。
そしてこのようなことが二度と起こらないようにしていきましょう。
・広島に投下された原子爆弾
(リトルボーイ)
・長崎に投下された原子爆弾
(ファットマン)
★長崎市で撮影された人間の影
長崎の爆心地公園。レンガ造りの構造物(手前)は旧浦上教会の被爆遺構を建て替え時に移設したもの。黒色の構造物(奥)が原爆落下中心碑
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。原子爆弾リトルボーイは、第33代アメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンの原子爆弾投下への決意[1]により発した大統領命令を受けたB-29(エノラ・ゲイ)によって投下された。市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空580メートルで炸裂した。 爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な爆風と衝撃波を巻き起こし、その爆風の風速は音速を超えた。爆発の光線と衝撃波から広島などでは原子爆弾を「ピカドン」と呼ばれた。
爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒され、石材に焼き付けられた人影が今も残る。また、3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。
爆風と衝撃波による被害も甚大で、爆心地から2kmの範囲で(木造家屋を含む)建物のほとんど全てが倒壊した。 爆発による直接的な放射線被曝のほかに爆発後の放射性降下物(フォールアウト)による被曝被害も発生した。広島市の北西部に大量の放射性降下物を含む「黒い雨」が降った。また投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性障害が多発した(二次被害)。なお当時の広島市内には34万2千の人がいた。爆心地から1.2kmの範囲では8月6日中に50%の人が死亡した。1945年12月末までに14万人が死亡したと推定される。その後も火傷の後遺症(ケロイド)による障害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺癌の増加など見られた。
長崎市
広島の3日後の1945年8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市に原子爆弾ファットマンが投下した。
投下地点は長崎市北部の松山町171番地テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。
今日という日を決して忘れないように、
来年の夏を迎えたいです。
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- at 23:18